二代目桂次郎の時代、南部駒の市場として盛岡と並び称された遠野に時の馬政局次長藤波子爵が馬産視察に訪れる機会がありました。
その際、初代から「くるみ糖」という名で作っていたお菓子を桂次郎が新たに「明がらす」と名付け子爵に献上したのが「明がらす」の起源です。その後商標登録を行い、現在は4代目である勝夫がその伝統の味と技を守り続けております。
昭和天皇・今上天皇がご来県の折のお茶菓子として献上したほか、表千家の茶事へのご用命、JAL国内線ファーストクラスのデザートに採用されるなど、広くご愛顧頂いております。
この写真は大正時代の店舗の様子です。
この時代はまだ自転車が珍しい時代でした。「今日は自転車という、えらい早いものが走るので、皆、軒下にさがっているように。」と、お知らせが回ることもあったそうです。
写真は、お客様が自転車でお買物にいらしたところです。松林堂ではまだ自転車を持っておらず配達には右側に写っている大きな車輪の荷車を使っておりました。荷台の横に「明がらす」の文字を入れ、専ら、小僧さんが配達をしていたそうです。
この写真で興味深いのは店舗上部の看板の文字です。明がらすの「明」の字が目偏になっています。これはわざと間違った漢字を使うことでお客様の興味を引くためのものだったとか…。効果のほどは伝えられておりませんが、アイディアマンだった二代目桂次郎のエピソードの一つです。
数年後、とうとう松林堂でも自転車を購入することが出来ました。その記念の一枚がこちらの写真です。
当時、遠野の商店では、各々の店構えを絵葉書にして配るのが流行っていたそうで、この写真も絵葉書にしてお客様へお渡ししていたものだそうです。
ちなみにこの写真では上の写真で使っていた目偏の「明」という字が直されています。カラスのイラストにも変わっていたり屋根が少し立派になっていたりと、数年の間の店舗の変化が見られる一枚です。
こちらは現在の松林堂でございます。
昭和37年に改築したのち、 昭和57年に店舗のみリフォームいたしました。